マヌス島の歴史
マヌス島(Manus Island)は、パプアニューギニア、マヌス州の島で、アドミラルティ諸島最大の島である。パプアニュー
ギニア全体では5番目の大きさで、100kms x 30kms の大きさを持つ。島のほとんどが荒れたジャングルに覆われ、低地熱帯
雨林気候に属する。
マヌス島には標高700mの山岳地帯があり、その起源は火山活動によるものである。800万年から1,000万年前に海底が隆起し
、島の地層は火山性地層及びサンゴ礁からなる石灰岩から構成される。
マヌス島の人口は約33,000名で、マヌス州の州都ロレンガウが所在する。
マヌス州のターミナル空港であるモモテ空港はマヌス島に近接するロスネグロス島に所在する。ロスネグロス島とマヌス島
は橋で繋がれている。
歴史
1942年に日本軍がマヌス島に基地を建設する。1944年2月から3月にかけてのアメリカ軍によるアドミラルティ諸島攻略戦で
基地は攻撃を受け、その後連合軍が支援艦艇を常駐させ、補給拠点の一つとなった。
第二次世界大戦後行われたイギリス軍による軍事裁判で、西村琢磨中将はシンガポール華僑虐殺事件への関与により終身刑
が宣告された。西村中将はオーストラリア軍憲兵によって香港からマヌス島に移送され、マヌス島でオーストラリア軍の軍
事法廷で再び裁かれた。検察側はパリ・スロンで西村がオーストラリア軍、インド軍の負傷兵に対して銃撃を命じたと主張
した。西村中将は有罪判決が下され、1951年6月11日に絞首刑とされた。
マヌス島に第二次世界大戦前および戦後暮らしたアメリカの文化人類学者マーガレット・ミードはその著書『Growing up
in New Guinea』で島の様子を詳述している。
オーストラリアはパシフィック・ソリューションの一環として2001年、マヌス島に拘留センターを建設した。センター最後
の収容者はアラジン・シサーレムで、彼は2003年7月から独房に収容され、2004年6月に亡命者保護が許可された。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
マヌス島の歴史を調べると意外と日本との関係が濃いことがわかりました。
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